死に場所を探しに、旅に出た。

2018.08.10

 

私は、家から10分ほど離れた下道でスケッチブックを掲げていた。

 

行先は兵庫県

目指すは西日本一周。

目的は――――日本をもっと知りたいという建前と、現実から逃げたいという本音。

 

いつからか、家に私の居場所は無くなっていた。

毎日逃げるように学校に行った。

毎日逃げるようにバイトを詰め込んだ。

家にいる時は、自分の部屋から出ない。

 

誰のせいでもない

私が私自身を受け入れられなかった故に、孤独を強いられたのだ。

 

ある日の夜、いつものようにバイトから帰宅すると、リビングには笑顔があった。

そこには確かに、家族がいた。

 

確信した

 

私はいなくてもいいんだと。

いや

いてはいけないのだと。

 

 

 

 

夏休みが来た。

バイトを詰め込んでも空白が生まれる。

家にいても苦しくなるだけ

 

「そうだ、旅に出よう」

 

以前から参加を予定していた2泊3日の無人島キャンプ

被災地のボランティア活動

友人に会いにいく

 

全部まとめて行ってしまおう

そうしたら家に帰らずに済む。

 

考え始めたら止まらない。

私はひたすらに計画を立てた。

 

そして8月10日

ちょっと大きなリュックを背負って、私は約2週間の旅に出た。

 

・約3日分の着替え

・化粧品

iPhone、バッテリー

・スケッチブック

・幾らかのお金

 

そして、文字の滲んだ遺書

 

 

「最後くらい、楽しい思い出を作って死にたい」

 

あとはなんでもいい

山で死のうか、海で死のうか

なるべく苦しくない方がいい。

誰にも気づかれず、見つからずに済めばいいな

 

私はそんな思いを胸に秘め、歩き出したのだ。

 

 

8月11日

兵庫の姫路駅で

大好きな人たちと再会した。

いろんな人と「はじめまして」を交わした。

 

船で向かうは無人

 

 

人生で初めて入った海は、綺麗で楽しくてちょっと辛くて、そして怖かった。

 

海で生きる魚を自分で釣り、自分で捌く。そして食べる。

 

謝った

 

「ごめんね、痛いよね」

 

釣り針を口から抜く時、腹を捌く時、火に炙る時

 

そして感謝した

 

「ありがとう、いただきます」

 

私は無人島で、生きるを学んだ

そして出会ったみんなと、また会う約束をした。

 

8月16日

岡山の真備町に、ボランティア活動をしに行った。

 

つい数日前まで自然の中で生きていたのに、そこは自然によって人が生きていけなくなっていた。

 

泥に汚れた家

ゴミの積まれた道

奥では車が横転していた。

 

それでも出会う人たちは、みんな笑っていた。

 

「またゼロから頑張ればいい」

「生きていたんだ。 それで十分」

 

つらい状況にあるにもかかわらず

 

「ありがとう」

 

そう言ってもらえた

そして

 

「あなたみたいな子がいるなら、日本の未来もまだ捨てたものじゃない」

 

おばあちゃんがくしゃっと笑う

 

また必ずここに来よう。

そう決めた

 

 

 

 

 

8月20日

家を出て10日が経った。

私はまだ生きている

 

死に場所を探していたはずなのに、気がつけば未来に約束していた。

 

家に帰りたいとは思わない。

誰になんと言われようと、もうあそこに私の居場所はない。

 

でも、私の名前を呼んでくれる人がいる。

 

私に笑顔を向けてくれる人がいる。

 

私のことを好きだと言ってくれる人がいる。

 

 

23日には旅が終わる。

27日からは学校が始まる。

 

退屈で息苦しい生活が待っていることだろう

 

それでも私は、まだ死なないんだと思う。

少なくとも、この旅では。

 

 

未来に約束をしよう

明日の予定が、私の生きる理由だ。

 

 

 

旅を初めて13日目の恐怖

12月24日から始まった旅も、今日で13日目。

旅を始めてからの毎日は、いつでも新鮮で私に刺激を与えた。

 

外国語が飛び交う街中に一人で立ってみる。

あぁ、自分は本当に旅に出たんだ。私は今、一人で海外にいるんだ。私はちゃんと、一歩踏み出せたんだ。

そんな気持ちで胸が熱くなる。

立ち並ぶ屋台からは、食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。どの服を買おうか悩ませる旅人。昼間から酔いが回り、上機嫌な欧米人もいる。

挨拶をしてみよう。

ハロー、サワディーカァ、またはこんにちは

みんなが笑顔で応えてくれる

スキンシップをしてみよう。

ハイタッチ、ハグ

頬にキスをしてくれる人もいた。

日本じゃ考えられないことが、海外では平気で起こっている。

興奮した。自分の知らなかったことを知れた瞬間に、自分の世界が広がっていく瞬間に。

 

 

13日目、つまり今日の朝

ゲストハウスの一室で目覚めた私はこう思う

「外に出たくない」

そこには刺激を拒む自分がいた

外に出て知らない人に会うのが怖い。知らない外国語で話しかけられるのが怖い。知らない場所に行くのが怖い。

日本で生まれ育ち、完全に平和ボケした私の体は、突然の刺激に限界を感じたのかもしれない。

外に出ることを諦めた私は、部屋でダラダラと過ごすだけ。

日本にいた時と何も変わらない。外に出なければ、ここが海外だともわからない。

iPhoneの画面を無心に眺める。

流れるTwitterのタイムライン。大量の通知が届くグループLINE。

自分と2つくらいしか歳の変わらない人達が、毎日大きな決断をしている。毎日なにかに挑戦している。

それに比べて私はどうだろうか

部屋でぐーたらしてるだけ

悔しい。悲しい。情けない。

そしてなにより、怖くなった。

自分はこのまま何もせずに終わるんじゃないか

みんなに置いていかれて、いつか一人になるんじゃないか

なんでみんなはそんなに簡単に行動できるのか

自分が怖かった。みんなが怖かった。

このままじゃダメだと思った。

でも行動するのが怖かった。

 

恐怖心に染め上げられた13日目

 

私はどうしたらいいのだろう

わからないまま迎える昼過ぎ

 

私の一歩が止まった13日目

 

 

2017年から2018年へ

過去のブログでも話したように、私は今年

【一歩踏み出すことを恐れない】

そんな決意をした。そして私は今、カンボジアにいる。12月24日から始まったバックパッカーとしての日々。台湾、タイと訪れ、今いるカンボジアで年を越すのだ。

先日、ある友人に「一人でなんでも出来てすごい」と言われた。確かに、高校生で一人で海外に行く者は多くないだろう。だが、私一人でここまで来れたわけでは無い。多くの人間に支えられて、今の私がいるのだ。

そう、多くの人間に【出会い】、その数のぶんだけの【刺激】を受け、【一歩踏み出す】ことになった。それが私の2017年と言えるだろう。

2018年は【一歩踏み出す】ことを続け、それを【伝える】ことを努力したい。旅に出たいと思う人が少しでも増えるように、私は旅の魅力を伝えたい。その為にもまず自ら行動し、より多くの人が旅に興味を持つように伝える能力を高めたいのだ。

恐れていては何も始まらない。これは私の人生なのだ。私が楽しくなくてどうする!

来年も、私の歩みは止まらないだろう。

突きつけられる現実

今年の9月からだろうか。私は一歩踏み出し、様々な人間と出会った。私のように夢を見る者。夢を叶えた者。夢を与える者。

それは大学生であったり社会人であったりと、年齢層や性別もバラバラ。――少なくとも私と同じ高校生は今のところ2人ほどしか知らないが。一歩踏み出すことによって歳上と関わることが増えた。それ故か、自分も大人になった気分になることが多々ある。

でも私は、お酒は飲めないしタバコも吸えない、選挙権もない23時以降は補導対象になる高校2年生の17歳なのだ。

大人は言う。

 

高校生なのに凄いね。

高校生には見えない。

 

みんなが言う。口を揃えて言う。

 

私は凄いんだ。私は普通の高校生とは違う。

そう思った。

大人とともに活動するうちに、自分も大人なんだと錯覚する。

だがそれは、結局はただの錯覚。

高校生の割には凄いのだ。つまり、高校生には変わりないのだ。まだ子供なのだ。何かをするには親の承諾がいる。親という言葉に、存在に守られているのだ。

簡単に言ってしまえば「ヌルゲー」なのだ。

 

親のお陰で毎日帰る場所がある。親のお陰で毎日満腹になれる。親のお陰で毎日清潔でいられる。

どんなに自分で稼いだお金で学費を払おうと、毎月親に1万円渡したとしても、それでも親がいないと生きていけないのだ。

酷く情けなく、悔しく、腹立たしい。

 

なんで、なんで私は大人じゃないんだろう。

 

最近はいつも、そんなことばかり考える。

高校生という現実は、時には私を輝かせ、時には私に牙を向く。

追いかける夢と襲いかかる不安

今日は、ナオト・インティライミさん主演の「旅歌ダイアリー2」の試写会に行ってきた。どんなものか簡単に説明すると、ナオト・インティライミさんが半年間かけて回った19カ国の旅の出来事を、前編後編に分けてロードショーされるドキュメンタリー映画だ。

早く旅に出たくなった。それと同時に、自分の現状にどうしようもなく不安を抱いた。

まだ旅に出ていない自分にとって今日の試写会は、「私の覚悟」を問われている気がしてならなかったのだ。

旅の現実を直視したんだ。旅は全部が全部楽しいわけじゃないと嫌でも理解させられる。

 

生半可な気持ちじゃあ絶対に後悔するぞ。それでもお前は旅をしたいのか?

 

そう言われている気分

 

私の夢は小説家になることだ。それも旅をして、そこで得たものを執筆に活かしたいと思っている。

でもふと、考えてしまったのだ。

旅に出て、そして小説を書いたとしよう。でもそれが失敗に終わったらどうしよう……。旅に出ても小説が書けなかったらどうしよう……。そんな不安が私を襲った。

私の夢に、不安という名の霧がかかる。

追いかけ辿り着くのは夢ではなく、底なし沼という名の後悔なのではないかと考える。

 

【後悔するなら反省を】

 

これはある曲のタイトルで、先日知り合いから教えてもらった言葉だ。

そうだ。失敗したなら反省すればいい。反省して次に活かせばいい。どんなに不安に思ったって、私のやりたいことは変わらないのだ。

旅に出たい。小説を書きたい。

ならやればいいじゃないか。自分の気の向くままに、自分の気が済むまで。

そう思えた瞬間、霧が私の行先を遮ることは無くなった。

 

 

私は今日のことを忘れないだろう。

特に試写会の後に行った、叙々苑の肉の美味さは絶対に忘れない。

悔しさをバネに感謝の言葉を

「口だけ」

そう言われた私は、悔しかった。ただただ悔しかった。そして怒りを覚えた。

Nに対してじゃない。私自身に。

憧れの人に呆れられてしまうそんな自分に。親や将来を言い訳に逃げてしまうそんな自分に。いつかなんとかなるだろうと甘えていた自分に。

そして私はこう思う。

 

変わろう

 

と。

 

Nに認めてもらうために。Nのような人間になれるように。私が私になれるように。

それからの私の行動は異常だったと言える。

 

翌日には私のカンボジア行きが決まっていた。

旅人を育成するための企画をしている「タビイク」の、カンボジア年越しプランというものに参加申し込みをしたのだ。

この「タビイク」というものは過去にNも参加したことのあるもので、Nから旅の話を聞いた際に、この企画のことも教えてもらっていたのだ。

また、同じくタビイクが企画するタビ飲みというものにも参加した。

そこでは多くの旅人や、私のようにまだ旅をしたことがない人が集まる。私は、夢を見て夢を語り、夢を知りそれと同時に現実を知った。

これまでの自分の考えの甘さと現実の厳しさを痛感し、その先にある夢という名の異世界を見る。

やってやろう

そんなやる気に満ち満ちていた私の一歩はまだ止まらない。

 

3月にはインドに行くことになった。

タイで祭りを企画する実行委員になった。

「新しい時代の旅のカタチを本気で考える」ゼミに入った。

 

短期間でこの行動力

今までの自分なら考えられない

これも全部、Nのあの言葉があったから

これも全部、あの日Nと知り合ったから

 

Nという存在があったからこそ、今の私がいるのだ。

私はこれからも歩み続ける。

はるか先にいるNに追いつくために。

そして、私が私であるために

 

 

私は貴方と出会えて人生が変わりました。本当にありがとう。

 

 

夢と現実と臆病と

私は今まで、自分の夢を話すことがありませんでした。

理由は2つ。

親にこれ以上負担をかけないように、早くいい会社に就職して、早く自立することが正しいことだと思っていたから。そしてなにより、笑われるのが怖かったから。

あの嘲笑う顔が、見下す目が、夢を否定する言葉が怖かった。

だから私は【夢】じゃなくあくまで【趣味】として、小説を書きました。絵を描きました。旅をしました。

でも諦めきれなかった。

就活をしなきゃいけない。でもしたくない。やりたいことがある。でもそれを誰かに言うのは怖い。

 

 

そんな矛盾した心を秘めながらの生活は、自分の首を絞めるくらいに苦しかった。

 

もちろん今は、そんな矛盾はありません。じゃあいつその矛盾はなくなったのか。

実はこの出来事のお陰で今の私がいるのですが、これを小説チックに書いたら面白いんじゃないかな〜、と笑

 

なのでここからは、少し書き方を変えてみようと思います。

 

では、こう書き始めるとしましょうか

 

――私はちょうど一年前、彼と知り合った

仮に名前をNとしようか。知り合った経緯は省略するが、私より一つ歳上であったNはその年の春に、海外で一人旅をしたと聞く。国内での一人旅は経験のある私にとってNは、一人の旅仲間であり、そして私の知らない世界を知っている凄い人……という認識から、憧れの存在であった。

私より一年しか長生きしていないのに、あの人は私よりもずっとずっと高みにいる。

そんな感覚。

ただただ格好良かった。素敵だった。

もしかしたら私は、Nに多少なりとも恋慕のようなものを抱いていたのかもしれない。今でもそれは、そうだったのかもしれないという程度で確信があるわけではない。

だが確かに彼は、私にとって特別な存在だった。憧憬ともいえるだろうか。いつしか私は、彼に認められたいと思うようになった。

この時からだ。私にとっての旅という概念が、日本という枠を突き破ったのは。

私はNから、旅の話を聞いた。

私の知らない世界を歩いたNの話は未知で、それこそ異世界の話を聞いている気分になった。

胸の高鳴りを感じる。好奇心が掻き立てられ、体が熱くなる。

知りたい

そう強く思った。

こんな小さな籠に閉じこもっている場合じゃない。

見たい。感じたい。知りたい。広げたい。

完全に興奮状態になっていた私は、Nにこう言った。

「私もいつか、海外に行きたいです」

今思えばこの「いつか」も、私の臆病の現れだったのだろう。

そう、私は臆病だったのだ。

Nによって私は異世界を知った。そしてそれをこの目で見たいと思った。自分の世界を広げたいと感じた。

だけどそれを親に言う勇気を、私は持ち合わせていなかった。

ここでもまた、私は夢を見れなかった。

ここでもまた、私は自分の首を絞めた。

ここでもまた、私はワタシから逃げた。

 

そしてNは私の前からいなくなってしまった。

私が一歩踏み出せないでいる間にも、彼は前へ前へと進んでいたのだ。

彼が最後にこう言ったのを覚えている

 

「口だけ」

 

その言葉が私にとっての転機となるのだが、それはまた明日話すとしよう。

今日はここまで。