突きつけられる現実

今年の9月からだろうか。私は一歩踏み出し、様々な人間と出会った。私のように夢を見る者。夢を叶えた者。夢を与える者。

それは大学生であったり社会人であったりと、年齢層や性別もバラバラ。――少なくとも私と同じ高校生は今のところ2人ほどしか知らないが。一歩踏み出すことによって歳上と関わることが増えた。それ故か、自分も大人になった気分になることが多々ある。

でも私は、お酒は飲めないしタバコも吸えない、選挙権もない23時以降は補導対象になる高校2年生の17歳なのだ。

大人は言う。

 

高校生なのに凄いね。

高校生には見えない。

 

みんなが言う。口を揃えて言う。

 

私は凄いんだ。私は普通の高校生とは違う。

そう思った。

大人とともに活動するうちに、自分も大人なんだと錯覚する。

だがそれは、結局はただの錯覚。

高校生の割には凄いのだ。つまり、高校生には変わりないのだ。まだ子供なのだ。何かをするには親の承諾がいる。親という言葉に、存在に守られているのだ。

簡単に言ってしまえば「ヌルゲー」なのだ。

 

親のお陰で毎日帰る場所がある。親のお陰で毎日満腹になれる。親のお陰で毎日清潔でいられる。

どんなに自分で稼いだお金で学費を払おうと、毎月親に1万円渡したとしても、それでも親がいないと生きていけないのだ。

酷く情けなく、悔しく、腹立たしい。

 

なんで、なんで私は大人じゃないんだろう。

 

最近はいつも、そんなことばかり考える。

高校生という現実は、時には私を輝かせ、時には私に牙を向く。